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【福岡の歯医者が語る歯科医療 第5回】
“インプラントの歴史~人工歯根の考え方は古代ギリシャ時代からあった~”
(中島歯科 院長:中島 龍市)
“インプラントの歴史~人工歯根の考え方は古代ギリシャ時代からあった~”
(中島歯科 院長:中島 龍市)
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しかし、成功することなく長い年月が流れて行った。
1910年代に入り、白金(プラチナ)の合金やコバルトクロム合金などが開発され、更にチタン、セラミック、人工サファイアなども人工歯根の素材として使われるようになった。
しかし、素材・手術方法が科学的根拠に乏しく、成功と失敗の繰り返しで安定した成果が得られず、普及には至らなかった。
特に日本においては、臨床結果が良くなく「インプラントは唾棄されるものである。」との見解が1990年代から広まりつつあった。
この不評の嵐を静め、歯科のインプラントが今日のように世界中で認知されるようになったきっかけは、ある研究者の偶然の発見であった。
1952年、スウェーデンのイエテボリ大学の整形外科医で解剖学者であるブローネマルク博士(写真1)が、生きたウサギの足の脛骨にチェンバー(骨髄鏡)(写真2)を埋め込んで、骨髄の機能についての研究をスタートさせた。
それまでのチェンバーの素材は金や真鍮だったが、生体になじみやすいチタン製のチェンバーを試しに取り付けてみた。
当時チタンはかなり高価なものだったので、実験終了後に取り外して、再び次のウサギにも使おうと考えたのだが、チェンバーが骨にくっついてしまい、どうしても取り外すことができなかった。
彼はこの偶然の出来事から、「チタンと骨が結合するのではないか?」というテーマをつかんだ。
様々な基礎実験を積み重ねて、一定の条件さえ整えれば、チタンと骨はオッセオインテグレーションすることを証明した。※オッセオインテグレーションとは、ブローネマルク博士の造語で「骨との一体化」という意味。
1965年9月、整形外科医であり当時31歳のイエスタ・ラーション氏が、人間として初めてのインプラント手術を受けた。※イエスタ・ラーション氏は骨変形症の為、若い頃から歯がほとんど無く、総義歯(総入れ歯)を入れていた。
同氏の強い希望で下顎骨に4本のチタンインプラントを埋入して、人工の歯を作った。2006年に逝去されるまで、実に40年以上もの間、同じインプラントを使い続けたのである。
これ以降、人間に対して臨床的治験が続けられ、1978年外科学会で「インプラントの10年生存率が98%」というすばらしい成績が発表されると、全世界にセンセーションを起こした。そして、このインプラントが全世界に普及して行った。
日本においては、1980年からブローネマルク教授に師事した小宮山彌太郎(こみやま やたろう)先生(現:ブローネマルク・オッセオインテグレイション・センター代表 )が、1983年に東京歯科大学で初めてブローネマルクのインプラント治療を始めた。
現在、世界中で数十種類のインプラントシステムがあるが、それらは全てブローネマルクのインプラントシステムが淵源となっている。
今日の歯科インプラントは、数多くの基礎的ならびに臨床的な研究により科学的に裏付けされた信頼できる治療方法であるが、実際に施術に当たる歯科医師の知識や技術、更に取り組む姿勢によっては失敗のリスクも高いものとなる。
最近、歯科インプラントは「乳歯・永久歯・インプラント」と呼ばれ、第三の歯とも言われている。欠損補綴(欠損した歯を補う人工の歯)のファーストチョイス(第一選択)と考えられている。また、骨の造成、審美的な回復、治療期間の短縮、費用の軽減なども行われるようになってきた。
更に近年では、歯科インプラントのみならず、人工関節、耳の再建、顔面・頭蓋の再建など、身体中の骨の治療にチタンが応用されている。ブローネマルク教授が発見した「チタンのオッセオインテグレーション」の応用は、ますます広がりをみせている。
【コラム協力】
中島歯科(ブローネマルクインプラントシステム導入医院)
院長:中島 龍市



